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死なない世界の主

芸術家は死なない。

9月5日まで国立新美術館で開催されていた
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展へは
もう死んでしまって今生きていない作家さんの作品を求めてゆきました。
「展覧会」には、今生きている作家さんのものと、
もう死んでしまった作家さんのもの、
あるいはその両方がまじっているものがある、と考えています。
これは単純に、お墓に入ったか/まだか、というレベルの分けかたで
特別に深い意味を呈するものではありません。

死んでしまった作家さんの展覧会へ行くと
芸術家は不死であるという事を、とてもよく感じ取れます。
このおっさんは、年表的には確かに死んでいるけれど
いま目の前に間違いなくいて、死んでない。
魂が宿っててとか、そんな表現でもわかりやすくていいけど、
そんな事ではなくて、芸術家は死なない世界をつくる力を持っているのだと
考えた方が、今のところは、しっくりきます。
そこにあるのは、芸術家自身の生というより
その芸術家がつくりあげた世界の生。
世界が生きているということは、その主の力が
未だびしびし及んでいるという事で、
主である芸術家は力を持って今なお生きている、みたいな。

そんな事を感じさせる作品の前に立っていると
作品から目が離せなくなるわりには、目をじっとさせていられず、
心臓は早鐘を打ち、それに合わせて呼吸もままならなくなって
仕舞いには体全体から何かが吹き出そうな、興奮状態になってしまうので
まるでロックスターに会って失神するギャルみたいだなと思うと
自分のミーハーっぷりにも気づきます。

さて、件の展覧会では、ポスト印象派のコーナーに
ポール・セザンヌ氏の「水辺にて」と「川辺」が並んでいて
その2点がわたしの何かを削りとってゆきましたが
そのかわりにおみやげもくれました。
やさしいおっちゃんです。


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