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I CAN NOT REDO.

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
(EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.)

はい。Qみたよ。

破のとき、このブログでかなり荒ぶっていた記憶があって、あらためて当時の自分の所感を読んでみたのですが、感情まかせの見苦しさもあるけど、本質的には今と変わらない意見だったので、なんとなくほっこりしました。
とゆうわけで、Qについても覚え書きしておこうと思いますので、ネタバレ等を気にされる方は映画をご覧になってからお読みくだされば幸いですー。

ちなみに破のときの記事はこちら。
I CAN NOT ADVANCE.



さて。
まずは簡単な個人的感想を述べますと、普通におもしろくなかった、ということにつきます。もっと言うと、エヴァに感じている「おもしろさ」がなかった、ってことです。

さこさんは正直、エヴァに関しての難解な世界観や設定については、全く詳しくありません。なんとなくでしか把握していないので、使徒ってなに?とか聞かれても、全うに説明ができないレベルです。
けれどそれら世界観が構築する、印象としての「ヤバさ」みたいなものは、設定の詳細を理解していなくとも旧作では十分に感じ取ることができました。これはヤバい、と。

今回のQにおいてさまざまな感想を目にしますが、その中で気になるのが「このわけのわからなさこそがエヴァ」という話です。これ、もちろん褒め言葉として使われています。「また難問をふっかけてきて、俺達を置き去りにしている」と。こういうわけです。確かに、考察部隊にとっては願ってもない燃料投下で、このあとも次回作が公開されるまではそれで楽しめるかなと思います。けれどさこさんにとっては、単に「謎の多い旧来のエヴァ」という文脈をなぞっただけの、中身の無いものとしてしか捉えられませんでした。

旧作の持つ「ヤバさ」は、多くの謎や設定について理解できるか否かを別に、なぜ感じ取ることができたのでしょう。それはエヴァがただの難解な作品だったからではなく、登場人物の心の機微を気持ちが悪いほどに描くという軸があったからです。
普通なら他人には見せたくない人の心の脆い部分や、さらけ出したら気持ち悪いと思われそうな他者へ対する依存心などを、すべての登場人物にのせて、もう見たくないっていうレベルまで描き出していた旧作は、庵野監督という作家の人格を見せつけられるようなものでもありました。エヴァという機体のコアに母親の魂が入っているのと同様に、この作品のコアには庵野監督の(当時の)人格が移植されていたと思っています。

今回のQが中身の無いものに見えてしまったのは、その点が皆無だったからです。あれだけ魅力のあった人物描写が全く見えてこない。「このキャラクターはこういうキャラクターだから」といった具合に、人物がストーリーの駒としてしか機能していない。これは前回の破と同様で、ただの二次創作じゃんって言うのも、人物描写力のある同人誌に悪いなって思うほどです。

作品に作家の人生が見えてくる、これはどんな分野においても、作品の魅力を構成する要素だと思います。なんだかよくわかんないけど、ヤバい。人の人生をありありと垣間見てしまうような、ある種の禁忌に手を出す感覚が、より一層作品を魅力的なものにたらしめる。エヴァが自分にとっておもしれーなーと思わせるのは、そういう点です。なので、それが見えないQは「つまんない」としか言いようがないのです。


あとはまあ劇場アニメ作品としてもどーなの?ってゆう部分として、エヴァという世界の中でのリアリティの欠如とか、旧来はきちんと描写されていた組織のあり方が全部省略されてるとか、シンジ君は急にピアノがうまくなったり、その辺は笑うしかないなーって感じでした。「おおかみこども」の時と同じで、リアリティラインの曖昧さがいちいち気になって、映画に入り込めないってゆうアレです。

絵的には、CG感がまるだしすぎて動きが軽く見えちゃうところと、アスカがかわいくない件が気になりました。


破のときの方が怒り心頭で、文句も山ほどあったのですが、今回はそういう意味でも肩透かし。
とりあえずカヲル君とギャル北上だけが、最後の希望です。

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